道の駅北川はゆま

モアナと伝説の海

映画

闇に覆われつつある自分たちの島を救うため、かつて海に選ばれた少女モアナは半神半人のマウイ、お馬鹿さんなニワトリ:ヘイヘイと共に大海原へ大冒険の旅へ出発する。

単純に冒険活劇として素晴らしく楽しめ、ヴィジュアルも心奪われるほど美しく、唄もとてもいい!そして非常にシンプルなストーリーの中に詰め込まれた過去の作品からの引用、ディズニープリンセスへの反抗や茶化しが描かれてはいるが、意見の分かれ所もそこにあるかもしれません。私が最も指摘したいのは…遺産と開拓の部分です。映画を観ている人ほど批判したくなるだろうポイントと、あえてそこを評価するというスタンスで行ってみます。

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※ネタバレ注意

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■健康的なフォルム

まず目がいったのはモアナちゃんの二の腕。健康的というか、いい感じな肉付きになっていて運動できそう!活発そうっ!ってのが二の腕と肩で感じられました。ガタイがちょっといい感じで。

あとウエスト!全然非現実的な細さじゃない!自然な感じの腰回りになっているのにも感心しました。過去のディズニープリンセスはどこに内臓がしまわれているのかわからないほどウエストの細さを強調していたが、今作のモアナちゃんの全体的な体格は非常に現実的な体型に近いものを感じます。

これはやはり製作者の意図として狙っているようですね。

冒頭の赤ん坊の時のモアナも結構リアルな比率じゃないですか!?頭と身体のバランス、そしておぼつかない感じの足取りが!なので、今回彼女が能動的に動き回る姿がアニメーションではあるけれど、より現実に近い動き方に見える。

これまでのディズニーで能動的に動くプリンセスたちも活発に動いてはいましたが、今回はそのように動くための体格を優先しているところがディズニー世界の中では画期的なポイントではないかなと思います。

二の腕いいなぁ…。

■元ネタは歴史のミステリー

実はこの作品の元になっているのは史実です。

もっと厳密にいうと、歴史の謎からインスパイアを受けているようです。

2000年前、南太平洋には大海原に出て、探求の旅にでる人々が実際にいました。しかし、ある日突然その冒険は終わります。

その理由ははっきりとわかっていません。

なぜ彼らが探求することを辞めたのか?という疑問から膨らませて、この映画の物語を創り上げていきました。

ゆえにこの映画の舞台は2000年前で、登場する衣装もかなり忠実に当時の島国にあるものでしか作られない素材や布によって作られていて、同時に服の色彩もそれに則って制限して彩られているようです。

さて、ディズニーはこれまでたくさんの御伽噺や神話、児童文学をディズニー化をしていて、その“ディズニー化”に対して批判することがありました。

しかし、昨今ではオリジナルのストーリーであったり、アメコミであったり、御伽噺から派生させたお話から持ってきたりと、様々な分野から素材を集めています。

今回ではそれを未だ解き明かされていない謎に着目し、そこから想像力を膨らませつつ、ポリネシアの神話などとも混ぜ合わせてディズニーの世界観を、具体的にこれだ!とポイントは突けませんが、でもこれはディズニーだよね!と感じさせてくれるので、見事世界観を構築していると思います。

■伝統と開拓

すごくシンプルなストーリーで、登場人物もかなり少ない映画ではあるが非常に巧みに過去のディズニー映画からの引用が散りばめられていました。

それは『ベイマックス』『塔の上のラプンツェル』などのカメオ出演とかではなく、

映画マニアの方なら『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』『十戒』『ライフ・オブ・パイ』などはすぐに頭に思い浮かんだでしょう。

しかし、私がこの作品を観て思い出したのは全く別の映画でした。

この作品はもっとヴィジュアル的にも、お話の転がせ方なども、過去のディズニー映画で見たことのある技法を取り入れている。

そして、それがこの作品の賛否の評価につながりやすいポイントかもしれません。

この作品を描くにあたって最も強い影響を及ぼしたディズニー映画は二つ。

『アラジン』と『ライオン・キング』でしょう。

まず、鑑賞中にピンときたのはココナッツの渡し方です。肩を滑らせて肘で飛ばして投げ渡すやり方はアラジンと一緒で、しかも二人の人物が行います。つまり二度も描いて強調しているんです。

次に、進むべき道に迷った時に誘うものが亡くなった親族の霊であるというところはライオン・キングのムファサと今作のおばあちゃんの姿がダブりますね。

そして最も大きく感じるのはストーリーです。

主人公は今いる場所から未知の世界への強い憧れを抱くが伝統や血によって縛られているも、外界に飛び出したら不思議な力を持つ者に出逢い、そして旅の目的を果たし元の場所に帰還する。

これらは『アラジン』『ライオン・キング』『モアナと伝説の海』のストーリーの軸として共通しています。

それはよくある神話のプロットだろ!と物語を沢山触れている人や体系的に勉強された方は突っ込まれるかもしれません。

確かにそれもある。この『モアナと伝説の海』もまた、昨今のディズニー作品に共通する過去の遺産をどのように捉え直すか、という自己言及の流れの上に築かれた作品だと思います。

『シュガー・ラッシュ』ではお姫様ではない自分を選択するプリンセス、『ズートピア』では『南部の唄』への目配せを服の色で示していたり、『プリンセスと魔法のキス』では好きな人との労働の中にも幸せが宿ることを描いていたり、と。そして今作ではもっとはっきりと台詞にてディズニーあるあるのネタを茶化している描写がある。

最近のディズニー映画はもっと大きな意味合いを持ったファミリー映画になりつつあります。それは子供向けであることはもちろんだけど、物語やテーマを再構築をして新たな時代を映す魔法の鏡としての役割を、ディズニー映画を子供の頃に観た大人にも提示していると私は感じます。

ディズニーの作り手たちは過去の作品の遺産を認めた上で何を作り出すべきなのか、をもがき苦しみ、そして楽しく描いている気がします。

それは過去、安易な続編やスピンオフでお金儲けをやるぞ!という姿勢への反省なのかはわからないけれど、確かに彼らは過去を見ながら新しいものを創造する努力が伝わってきます。

確かに、今回の作品では確信犯的に過去のディズニー映画とは違うよ!と台詞で意思表示するぐらいだけど、その割には結局過去の焼き増しで、数えきれないほど描かれ続けている神話構造の枠からはみ出ていないじゃん!と批判することはできます。ここがこの映画のマイナス点にあげる人は多いかもしれません。

しかし、私はそこに意見を申し上げたい。というか、製作者もそのことわかっているよ!ということを作中で示唆していると考えています。それは後で説明しますが、まず言いたい事。

過去、ディズニーは開拓者でした。

『白雪姫』でアニメーション映画というジャンルを切り開き、『ファンタジア』では長編アニメーション映画にも関わらずストーリーを排除し、クラシック音楽とアニメの融合を果たした未だ追随を許さない革新的な映画を作り上げました。

かつては開拓者だった者達の意地を見せよう。だけど、決して過去に築き上げたものも蔑ろにはしない。

今一度、ディズニーはちゃんと前に進もうとする姿勢が過去のディズニー映画からの引用や台詞によるおふざけからも感じられるし、何よりモアナの姿と重なるんです。

それはまるで、映画の最後、数々の先祖が積み上げられた石の上に、新しい物を積み上げたモアナのようにね。

■最後のひと言

『アメイジング・スパイダーマン』でのラストシーン、学校の先生が物語の種類について言及するシーンがあります。

「私はフィクションには10通りの物語しかないと学びましたが、私は違うと思う。物語は1つしかない。それは“私とは何者なのか?”です」。

今作でも非常にそのことを前面に打ち出したテーマでした。今作のモアナはなりたい自分というものは特別になく、ただ今のままでいいのだろうか?という漠然とした不安を、それを解消してくれる可能性を秘めているのは壮大な海の向こうにあるのではないか?と考えています。

これは本当に象徴的だし、安易な結論に着地していないところもいいですね。結構そうゆう人、多いんじゃないですかね。なりたいものがわからない。なりたいものがあったとしても漠然としたイメージしかないから、不透明な不安がそこに辿り着くまでの道に霧を覆わせることが。ただ、どこかに大きな可能性が私を待っていてくれている気がする。また、一歩踏み出したら踏み出したで、今まで味わったことのない脅威や危険によって安全圏に委縮してしまうことは誰もが共感できる弱さだと思います。

今作のヒロインは気持ちいいほど元気に活発に、それらを乗り越えていきます。海から選ばれた特別な存在であることも全然鼻に引っかけず、新しい世界を開拓するという意志こそが私であるということを、ルーツを辿ることから確信に変わり、島という殻を打ち破り、伝説の旅に出掛けて、一度諦めてしまいそうになり、そして復活する。

今作、タイトルが最後に出てくるタイプの作品でした。「私はモアナ」であることのそれ以上でもそれ以下でもない、絶対的な確信を抱いた彼女の姿を映した後に、“Moana”とでっかく映し出されると、過去『ロボコップ』で「名前は?」「マーフィー」タイトル『ロボコップ』(バァーン!!)を思い出して、私はウルウルしてしまいましたよ。

大きな可能性を信じて進む者の疑似体験を、2000年前の太平洋の海の上で、非常に細やかな画作りと、楽しいギャグによるスパイスによって味付けされ、謎が生み出したファンタジーを経験でき、大昔からある神話的構造からも拝借し、そしてディズニーの遺産からの伝統を引き継ぎつつ、最終的には我々とは何か?という果てしなく深く、そして誰もが人生をかけて探求する価値のある問いかけを大人から子供まで、観客の心に種を蒔いてくれる素敵な作品だと思います。

そして、人は誰もが自分というものを探求する旅人であるということをね。