今回は以前紹介した『グラビティフォールズ』を観た人用のレビュー・考察になります。つまりネタバレ全開なので未見の人はご注意ください。
■私の好きなエピソードと簡単な感想
まずは、オススメ&個人的に好きな回について
第19話「ミステリーハウスを守れ!」
ビル・サイファー初登場回。金庫の暗号を手に入れるためスタンの記憶の中に侵入するビルとの攻防戦を描く。記憶の中での闘いという奇想天外な発想と、さり気ない映像表現による伏線(片方が壊れたブランコが映りますが、これはスタンとフォードの関係が壊れたことを示唆していることが後々わかります)、そして最終話にてビルを倒す方法にも繋がっていて、仕掛け満載のエピソード。
第24話「靴下オペラ」
ビル・サイファー再登場。ビルの悪魔的狡猾さによってディッパーが悪魔の契約をしてしまうエピソード。ビルが出てくる回は展開の予想のつかなさ、次に彼は何をするかすごくワクワクしてしまうこともあって目が離せない。そんな彼がディッパーの身体を乗っ取り、ファン風にいうと“ビッパー”となってはしゃぐのが可愛い。そして、作中作としてのメイベル作の靴下によるオペラとの絡みもあって忙しいお話。でもちゃんとまとまっている。
第25話「スースと、その彼女」
スースが恋愛ゲームの女の子ギファニー(英語で表記するとGIFfany)にお熱をあげてしまうというザ・ジャパニーズなテイストを見事に盛り込んだ傑作回。ゲームのときメモからインスパイアされたお話で、よくある外国が描く変な日本感ではなく、日本の変なところを鮮やかに切り取って、同時に茶化し、そしてこの「グラビティ・フォールズ」全体のテーマともつながる“現実からの逃避”(これについては後述)ともつながって見かけとは裏腹にいろいろと見どころがつまっている回。特にギファニーの造形や、ホラー演出も邦画のアニメやゲームを彷彿させる巧みな手法を用いている。なにより、リアルよりファンタジーの方がいい、という恐ろしい魅力に憑りつかれることついてしっかりと描いたことが素晴らしいし、ホラーだ。
第32話「2人のスタンの物語」
このアニメの最も大きな秘密を明かした回。実はスタンもまたディッパーとメイベル同様に双子で、ディッパーの見つけた本の作者もスタンの双子の弟だったということが判明する。スタンリーとスタンフォードの関係と、ディッパーとメイベルの関係はかなり類似していて、一人はわんぱく、もう一人は頭がいいというそれぞれの特徴がそれだ。そして決定的なトラブルの基を引き起こしてしまうのがわんぱくな方、つまりスタンリーだということも、後々メイベルが第39話「終わらない夏」でやってしまう”ある行動”と動機が似ている。ここらへんの作り方や繋げ方が本当に上手い。
■聞いたことも見たこともない世界の終り
さて、このアニメはシーズン2で終わり、最後は三話の連続したお話で幕を閉じる。それが、みんな大好きミョウマゲドン編だ。
まさか世界の運命を巡る闘いになるとは思いもよらなかったぞ!異次元からの存在であるビル・サイファーが三次元(つまり我々の次元)の力を持つことにより、この世のありとあらゆる法則、在り方、定義をひっくり返した、正に重力が落ちてもおかしくないほどの異常事態になるのがミョウマゲドン編だ。
原題だと”Weirdmageddon”となっていて、”weird”=”奇妙”と”Armageddon”=”アルマゲドン”を掛け合わせた。そんなこれまで聞いたことのないこの世の終わりを表す造語になっている。それを日本語タイトルでは”妙マゲドン”と翻訳。うん、イイじゃん!
ここからは作中のトーンや禍々しさは子供に程よいトラウマを与えちゃうんじゃないかってぐらい怖いシーンがあったり、かと思えばたちの悪い冗談やギャグ、仕掛けがギュウギュウに詰まっている。狂気のメーターが大きく振り切れているのでこのアニメの終わりの展開としてワクワクが止まらないぞ!
また映画マニアや大きいお友達にはうれしい要素が盛り沢山だ!ミョウマゲドンの影響で世紀末感全開のグラビティフォールズの荒くれ物たちの様相はもろに『マッドマックス』だし、BGMもそれっぽくなる。そしてビルが放った、触れると気が狂うシャボン玉は往年のドラマ「プリズナーNo.6」からでしょうな。そして、最終的にミステリーハウスを改造して巨大戦闘ロボットにして闘う展開など子供とボンクラさん達が好きそうな要素を詰め込んでテンポよく見せるのは本当に楽しい!
■空想からの脱出
さて、ミョウマゲドン編は三つの話によって分けられている。どれも秀逸な出来なんだけど、ここでは第二話「空想からの脱出」について触れよう。
ビルに囚われたメイベルを救うために、ディッパーたちが向かった場所はメイベルの空想の世界だった。メイベルの理想、夢、願望、すべてが叶ったキラキラしている楽しい世界。メイベルはそこでは神のように何でも願いが叶い、夏の終わりによる愉快な時間の終わりを味わうこともない。メイベルは辛いことが多い現実より、ここで終わらない夏を、楽しい時間を永遠に過ごそうとディッパーを誘う。
でもディッパーは現実も悪いことばかりじゃない。みじめで嫌なこともあるけれど、それを乗り越えて共に成長しようよ、とメイベルを説得する。空想の世界に浸っていれば傷つくこともないし、楽だ。けれどそこでは人は成長できないよ。成長は怖いけど、そこには空想にはない可能性があるんじゃないかな?ということをディッパーはメイベルに過去の嫌な思い出の先にある優しい記憶を見せてメイベルを現実の世界へ戻す。
これ、絶対子供に向けて言ってないよ。だって子供は大人になりたいって思うもん。成長して、お父さんやお母さん、他の大人たちみたいになんでも自分のやりたいことができるようになりたいって考えるよ。
でも私たちみたいな大人は現実って子供の頃思い描いたものじゃないってことを知っている。だから現実ではないものを観たくなる。そんな私みたいな映画やアニメによって救われている人に向けて放たれる厳しくも優しいメッセージだ。
いい映画やドラマも見て「あぁ面白かった。これからも頑張ろう」となれる人はいいけれど、現実が満たされていないから、不安だから、自分とは違う誰かの物語を消費し続けて何とか生きている人は多いんじゃないかな。
映画やドラマが好きだから、それを糧に頑張っている人もきっと多いだろうし、私もその一人だ。だけど、油断すると自分のいる現実がなおざりになっている瞬間ってあると思う。空想の世界に頭が持っていかれている時がある。
この世に生きる意味とかわからないけれど、現実に立ち向かって成長することには空想の世界にはない大きな意味があるんじゃないかなってことを大人に訴えかけるとても深いエピソードになっている。だからこのアニメの最終話でディッパーが「未知の世界に行く用意はいい?」とメイベルに言って、「まだだよ、でも行こう」と現実の道を進む覚悟をして、二人は大人への入り口、ティーンエイジャーとなってグラビティフォールズを去るのだ。
私はこうゆう物語の中で、物語や空想が存在する意義とは?を問う話がとても好きで、たとえば海外アニメの「サウスパーク」の人気エピソード「イマジネーションランド 三部作」、映画だと以前ブログで紹介した『ギャラクシー・クエスト』、最近だと『LEGO ムービー』や『インサイド・ヘッド』、小説だとマイク・レズニックが書いた「キリンヤガ」などだ。
物語な好きな人たちが、なぜ物語を生み出さずにはいられないのか、私たちの空想に意味はあるのか、などは哲学的な要素を帯びつつ、それぞれが様々な答えを登場人物の姿を通して導き出し、私たちと、クリエイターと、そして自らを問うのは興味深いし、どこか感動的だ。そこには現実と空想がしっかりと繋がっている気がするからだと思う。現実と空想の狭間でしか見い出せない答えが、現実と空想のどちらかだけでは埋められない心のすきまを埋めてくれることもあるんだと。そして『グラビティフォールズ』もちゃんとそこを突いている。
■最後のひと言
『グラビティフォールズ』は今年2016年観たテレビシリーズの中でベストですね。
時に笑えて、恐ろしく。はたまた、急に泣かせたり、考えさせられたりとこちらの脳と感情も大忙しです。
前回のレビューでこのアニメの大きな魅力は懐かしさにある、と書きました。それは自分の子供の気持ちを思い出させるという意味で書きましたが、このアニメは更に昔のアニメの懐かしさも残している気がします。
どういうことかというと、恐ろしさです。昔のアニメは子供向けに作られていながら、大人が観ても恐ろしいシーンや、造形のキャラクターがいきなり出てきて恐怖心、またはトラウマになるほどのショックを隠し持っていました。
最近の子供向けアニメはその要素が薄くなり、それも時代の流れかと思いますがどこか寂しい。完全に子供の世界の為だけに作られた空想。それもまぁいいですよ。しかし、空想は単なる遊び道具じゃない。厳しい現実に立ち向かうための一つの武器だとするのであれば、そこに苦みや毒を含んでいてもいいと思う。
お菓子のような物語もあれば、苦い薬や痛い注射のようなものもある。それらを通して、そして寄り添いながら自分の物語を成長と共に作り上げればいいんだと思います。