道の駅北川はゆま

ヒックとドラゴン

映画

「奴は稲妻と死神の間に生まれたドラゴンだ」その名もナイト・フューリー!はたしてその正体は…ワンコと黒猫のいいとこ取りをしたようなギャンカワな生ドラゴンでした。飛行シーンでの3Dが話題となった長編アニメーションですが、内容も天下一品!最終作が出る前に未見の方は是非チェックを!

■飛べなくなった伝説のドラゴン
主人公の名はヒック。バイキングの頭を親父に持つにも関わらず、ひ弱な様相に身体のためドラゴン退治に参加させてもらえない。いっちょ前にやったろうじゃん!とするにも見事足手まといに。同じ年齢の子供たちにもバカにされ、気になる子にもそっけなくされて、しまいには俺って周りみたいな生き方ができないかも…と悩んでしまうモラトリアムど真ん中の主人公です。だがそんな彼がたまたま発明した飛び道具で今まで誰も見たことも、そして傷つけたこともない”ナイト・フューリー”というドラゴンにダメージを与えることに成功しました。しかし誰もそのことには気づかず、ヒックが「僕はナイト・フューリーをやっつけた!」と主張しても皆聞く耳を持ちません。

やがてヒックはナイト・フューリーを見つけた。ヒックの放った縄によって身動きができないナイト・フューリーをヒックは最初殺そうとするが、生来バイキングの素質ゼロの彼はドラゴンを殺すことはできませんでした。ヒックはその縄をほどいてあげると、ナイト・フューリーはすぐさま「ありがとぉーー!!」という咆哮をヒックに言った後、飛び立とうとするが上手く飛べない。そこでヒックはドラゴンの片方の尾がなくなっていたことに気づきます。その為にドラゴンは自由に飛べなくなっていました。ヒックはそのドラゴンを”トゥース”と名付け徐々に距離を縮めてゆきます。やがて彼はこれまでのバイキングの歴史上初めての試みに挑みます。ドラゴンに乗ることです。。

鮮やかなスピード感は飛行シーンだけじゃない!
この映画の会話による場面転換は本当に上手い!冒頭でナレーションから始まるが、ナレーションの途中からいきなり主人公ヒックの実際の台詞に繋がっていく部分は鮮やか。他のシーンでもヒックはドラゴン退治の訓練を闘技場でさせられた時に指導者からこう忠告される。「ドラゴンはいつでも命を狙っているぞ」と。すると場面が変わり、ヒックは「でもお前は違った」とナイト・フューリーに言う。こうゆう場面転換をしつつ、台詞は繋がっているという鮮やかな手法も見所の一つ。おかげで物語がサクサクとテンポよく進み、スピード感が映像だけでなく、物語のテンポからも伝わってくる感じがします。

■CGアニメのヒロインはクセがある
見所と言うよりこれは個人的に気になった点。どうしてこのようなCGアニメーションに登場する女の子はクセのあるくせにカワイイ子というのが多いのだろう?ピクサーの『Mr.インクレディブル』のヴァイオレットとか。どうも一目惚れはしない感じの容姿の方々ばかり。でも映画の最後の方になると愛おしくなっていたりする。この魔法の力はなんなのだろう?アニメーターたちはわかりやすい美人や可愛子ちゃんよりもそうゆうちょっとクセのある顔の子の方が好きなのかな。この作品のヒロイン:アスティも最初ライトアップが後ろの大爆発+スローモーションというド派手な登場をしているにも関わらずよく見ると「まぁ確かにちょっとは可愛いけども・・・・」って感じです。

でもこのヒロインとっても可愛い仕草をするシーンがあります。ヒックにどついてばかりで、「嘘をついていたから」「怖がらせたから」といってパンチする。だがその後、「あとこれはその他の分」と言って頬にキスをする。これで満足しちゃいけません。大事なのはこの後。そのキスの後、ヒロインは歩いていこうとするが途中から突如走りだします。どうしてかって?初めてキスなんかして恥ずかしかったからに決まっているじゃないですか!いつも男勝りな姿しか見せていないから、自分の女性の部分をチラッとヒックに見せてしまったことに恥ずかしさを感じたからじゃないかと思うんです。いいですね、こうゆうの。


■この映画の本当の敵とは

ヒックとトゥースが和解することによって、やがて人間とドラゴンを巻き込んだ新しい生き方を示すことになってゆきます。それが物語の中心とはなっていますが、他にも父と子の和解や相互理解の大切さ、子供用アニメらしからぬ意外な展開が待ち受けているラスト、など楽しめる内容はてんこ盛り。様々な者たちの期待を背負い、最後ヒックとトゥースがある敵に向かって闘いにゆくシーンは激アツだ!!もう涙が出ますね。

君が敵だと見なしているものは本当に敵なの?敵を倒す、敵を殺す、敵に勝つそれ以外に何か方法ってないの?その答えはこの映画の中にあります。

※ここからネタバレ前提のレビューです。

罪を受けなければならない主人公
最後ドラゴンの頭との闘いによって左足を失ってしまったヒック。この展開は衝撃的です。「あれだけの大きな戦闘があったのに誰も怪我を負わないのはおかしい」という考えの元にこの展開を付け加えたらしいですが、なにも片足を無くすまでしなくとも……と思ってしまうかもしれません。だが、これこそがこの作品の白眉でした。

彼は罰を受けたのです。罰とはトゥースを障害を持つドラゴンにしてしまったことに対してです。ヒックはトゥースが元通りに空を飛べるようなくなった片方の尾を作り上げるが、結局ヒックが乗っていないと元通りにしか飛ぶことができない。このままだとヒックが優位に立ったままです。この映画の中心に描かれているのは人間とドラゴンの共存です。バイキングとドラゴンの対立を解消するきっかけを作ったのは確かにヒックとトゥースだが、トゥースにこんなひどい仕打ちをしてしまったヒックになんの罰も与えないのはどうもひっかかります。もしこのヒックが片方の足がなくなるというラストでなかったらもやもやしたものが残っていたでしょう。このエンディングは大正解だったと思う。これによってヒックとトゥースが同じ立場に立って、共存して生きていくことがちゃんと示されています。ヒックが片足がないことに気づいた後、自分の家から出ようとするシーンでカメラはヒックとトゥースの後ろ姿を映す。その時、ヒック左足の義足と、トゥースの左の尾がない尻尾をさりげなく映すシーンはなんと美しいことか。


■もしかして、あのピクサー作品に触発された?

この映画はセリフがないシーンとやたらセリフが多いシーンが明確に分かれているためにメリハリが利いています。ヒックとトゥースが仲良くなるシーンでは台詞がほとんどありません。その数少ない台詞も、トゥースは喋れないのでヒックの独り言だけですが、二人の心が徐々に近づいていって友情を育むシーンはほとんどセリフがありません。これは製作者たちが意図したことでした。なんとしてもセリフがないシーンを盛り込みたかったと製作者は語っています。

他にもセリフに頼らず映像で語ろうとしているシーンがいくつかある。例えば、トゥースが火を地面に吐いて自分の寝床を作ったシーンの直後、上を見上げると鳥の巣があり、そこから一羽の鳥が飛び立つ。それをトゥースは見て、その後にそばに座っているヒックに一瞥を与えた後にふてくされた表情をします。これはトゥースが自由に飛べる鳥を見て羨ましいと思っているのと同時に「こいつ(ヒック)のせいでこんな目に…」とうんざりしているのを映像で描いています。

また、バイキングの子供たちと火を囲んで食事をしながらゲップの武勇伝を聞いているシーンでは各キャラクターたちの食べ物に注目してみるとみんな肉を食べているのに、ヒックだけ魚を食べています。つまりヒックだけみんなとは違うことを示唆していますね。

このようにセリフだけに頼らず映像で語ろうとする意識が多々見ることができる。これって映画の基礎中の基礎で、この手法から本来映画というものは始まったのだが、今回なぜドリームワークスの『ヒックとドラゴン』でこれほどまでに意識したのか?という答えに対して、私はこれはピクサーの『ウォーリー』の影響じゃないかという思います。最先端のCGアニメーションにも関わらず、サイレント映画のような演出をほどこした『ウォーリー』を見て、同じCGアニメのライバル会社ドリームワークスは「おれらもそれを見せてやろうやんけ」ってことでセリフなしのシーンを盛り込んだり、サイレント映画に近い演出をほどこしたんじゃないのかなと私は考えています。

最も一番『ウォーリー』と似ていると思ったのはアスティを初めてトゥースの背中に乗せた時です。空を飛んでいる時にアスティが雲をなでようとして手を雲に差し伸べる場面。これ『ウォーリー』の中でウォーリーが宇宙船に捕まっている時、塵に手を伸ばすシーンと似ている(『ウォーリー』は今作の二年前です)。

それでもしや意識しているかも…と思った次第。しかも両作品とも一組の関係が育まれる姿を見た他の者たちが生き方を改めるというテーマも共通していますね。

思い描く理想を打ち破るための旅へ
冒頭、ヒックはバイキングとしてあるべき姿を周りのみんなからの影響をモロに受けながら作り上げていくのですが、その理想像になることは「身動きが取れない状態のトゥースを殺せない」ことからも、無理だと悟り自分は他のバイキングみたいに殺生することができない人間だと思ってしまいます。

しかし、無理にでも他人の目を気にした理想像になろうとするよりも、この他の人とは違う生き方を模索し、それがこれまでの伝統に縛られたゆえに光の当たらなかった新しい世界へと入ってゆく生き方をヒックは一度選びます。よく云うアウトサイダーというものですね。これまでの既成概念や押し付けられる人としての在り方について疑問を抱いたり、反発したりします。ヒックは正にアウトサイダーの領域に一度踏み入れたのです。ただ、ヒックはこれまでのバイキングの生活と決別しようとはせず、和解する道を選ぶことによって、またバイキングの世界に戻ってきます。だがその旅はアウトサイドの世界に行って、ドラゴンとの共存というお土産を持って帰還します。

人と同じような生き方ができないことを悩むよりも、一度その世界から一歩踏み出して、そのまま突っ走ってもいいし、また戻ってきてもいい。だが、あなたが考えている理想とは限定された世界の中でしか存在し得ない。だから一度周りの人によって描き作られてしまった理想なんか一回捨てて、人とは違った生き方をしてみると理想よりも遙かに大きい人間として成長できるかもしれないという、変わり者やのけ者にされるような悩める人々の心にも突き刺さるようなメッセージもこの『ヒックとドラゴン』には描かれています。