2016年の公開当時、この作品はアカデミー賞作品賞の大本命!ハリウッド界からの絶賛に次ぐ絶賛!映画サイトも軒並みの高評価!だけど、フタを開けてみると…結構賛否両論な感じでしたね。
意見が分かれるのもわかる気がします。求めていたモノと違うと感じる人、過去のミュージカル映画を観ていないと楽しめないと言う人、とにかく最高だった!などなどの意見が飛び交っていますね。
私の意見としては、中途半端なんですが…いい作品だとは思います。しかし、諸手を挙げて大絶賛はちょっと…って感じです。
まず、ちょっとこれは…って点を挙げて、次に良かった点、最後にこの映画はデートに向いているかいないのかについての見解を述べます。
※ネタバレ前提です。未見の方はご注意。
■自己中心的なヒロイン
オープニング、始まってからハイウェイの渋滞からいきなりミュージカルが始まるシーンは最高です。もう開始一発目に映るの車たちの色から最高でしたね。明るい色の車が均等に距離の取られた車間距離で次々と映し出されて、ちょっと暗い色の車が映ったかと思ったらミュージカルが始まり、また明るい色の車が停まっている前の道路にカメラが映っていく。現実ではない作り物の世界から一瞬だけ現実に戻して、すぐにまた作り物の世界へ戻る。ミュージカル映画そのものを表しているような色とカメラワークによる演出からのミュージカルシーンスタートはたまりませんでした。
しかも、そのミュージカルがはじまるのが高速道路の渋滞と日常生活の中でトップクラスにイライラするシチュエーションの中で始まるのも面白いですね。普通だったら個々の車の中で、各々が音楽を聴いたり、テレビや映画を流したりしてこの不毛な時間をどうにか消化していく状況を、皆が車の外に出てこのつまらない時間をマジカルなものに昇華してゆく様子にミュージカルが私たちの知っている日常を異なる空間に変容させる力すらも描いているようで観ていてウットリしてしまいましたね。
そのミュージカルが終わった瞬間にタイトルがバンッ!っと出た時、映画のオープニングで「これからスゲェ楽しそうな時間が始まりそう!」とワクワクさせてくれたのは秀逸な幕開けだと思います。
それから多くの人が気に入っている“Someone in the crowd”のナンバーも素晴らしい!うら若き女性たちがバッチリとおめかしして、パーティに出陣して「今日は狩ったる!」って感じのバイタリティーと、力強さと、前途洋々な明るさも感じられて私はこの映画の中で一番好きな曲です。歌詞もミアの行く末を暗示させていたりと仕掛けもあってバッチリでした。そのことについての詳しいことは少しに後に回します。
あと、最近再見して気づいたのですがこの映画は時代設定の雰囲気が特殊で面白いですね。確かにスマホが登場しているから2010年代の話であることは明確なのですが、どこか往年のハリウッドを感じさせる映像になっています。壁に貼られているポスターや、映画撮影のセットの様子などが現在に過去の空気を織り交ぜています。そして、この”いつの時代の話かわからなくなる雰囲気”を最も助長しているのは場面変換の時の技法、つまりトランジションですね。例えば画面が一点に絞られながら丸く暗くなっていく技法(アイリスアウト)の多用や、画面が下から上に次の場面へ切り替わる技法など、今使うとパロディの匂いすら漂ってしまうこの技法が映画内で敢えて使われています。
これと似たことをしている映画があります。それは『スター・ウォーズ』です。この作品もまた起こっている時代が一体いつの話なのかがわからなくなります。出てくる機械やロボット、惑星間の飛行やワープが可能になっているので間違いなく私達より文明が進んでいるのですが、どこか懐かしさを感じさせるのはトランジションの力もあると思います。ちなみに『スター・ウォーズ』の舞台は大昔です。映画の冒頭で”A long time ago in a galaxy far, far away”としっかりと言っていますからね。
さて、問題はミュージカルシーン以外の部分です。
ミュージカルシーンは本当に良かった。レベルが高いかどうかではなく、昔のミュージカルを観た時の驚きを最新作で感じられてるって実感が確かにありました。いくつものシーンで「おぉ!」と脳と目が喜んでいましたよ!
しかし、ドラマパートが全然ノレない。エマ・ストーンはとっても可愛いし、ライアン・ゴズリングも様になってる。しかし、私はミアとセバスチャンというキャラクターに共感の念を抱くことはできませんでした。
それは、この映画ならではのキャラクターというよりかは、夢を追っている若者という存在をミアとセバスチャンに象徴させているからかなと思います。言い換えると映画で描きたいテーマ用に作られた人形のようだな、って印象を拭えませんでした。
なのでミュージカルシーンで心地よく気持ちよくなっていても、現実のパート(つまり、ドラマ部分)になると、どんどんその温度が毎回下がっていきました。これはギャレス・エドワーズ監督『ゴジラ』でも感じたことでした。見せ場とドラマシーンの魅力がかなり乖離している。ずっと魔法にかけられている感じがしない。いや、もしかしたらこの映画のテーマと合っているのかもしれません。しかし、それと面白いは別の話かなと。
あと、問題のミアが映画館のスクリーンの前に立つ、ってシーン。いくらなんでも何処に座っているか分からない人を見つけるためといっても…と映画ファンは結構ツッコミたくなるポイントだったと思います。それにいちいち目くじら立てるのは大人げないかもしれませんが、あまりにドップリとこの映画の世界にのめりこんでいたら気にならないはずなんですが、そうはなりませんでした。
でもあれも伏線なんでしょうね。
まず、表面的なものとしてはミアの自分勝手な性格が表れていると思います。彼女、喫茶店でのバイトでも夢追いかけることばかりで店に迷惑をかけているし、あんな店員はマズいよ。また、音楽にのせてはいるもののバイト辞める時も店長怒っている感じは伝わってきましたしね。彼女は恐らく普通の社会ではかなりマズイ人間なんだろうなってことは所々に感じられるんです。だからあのスクリーンの前に立つ行動もなんかさもありなん。
ですが、前述した“Someone in the crowd”の歌詞の中に
“Someone in the crowd will take you where you want to go”
(群衆の中にいる誰かが、貴方が望む場所へ連れて行ってくれる)
とあり、それは群衆の中にいたセバスチャンだった、というミュージカルの歌詞とリンクさせていると考えられます。
また、ミアの一人舞台の演劇シーンでもミアの背中とまばらにしか席が埋まっていない観客席が映ります。映画館の観客も、そんなに入っていませんでした。つまり、ミアは二度観客があまり埋まっていないステージの前に立ちます。
そして、彼女は二度目の“群衆の中の誰か”が彼女の行きたかった場所、つまり、映画女優への道へ誘うことになります。しかも、それは一度目の群衆の中にいたセバスチャンが電話を受け取り、ミアにそのことを伝達するという中継役としての役割を果たしています。
とまぁ、こうゆうさり気ない部分は凄く面白い!けど、それでもキャラにはノレなかったよ
※断っておきますが私はエマ・ストーンもライアン・ゴズリングも好きです。『ラブ・アゲイン』の時の二人とか最高ですし、『小悪魔はなぜモテる?!』のエマは魅力が大大大爆発していますよ。
■今ではないどこかへ行くための起爆剤
また、映画をしこたまご覧になられている方は「あぁ、ここは過去のミュージカル映画のオマージュね」とニヤニヤできるのもまぁいいでしょうね。それでこの映画を観て楽しめない人は過去のミュージカル映画を観ていないからだ、なんてふざけた意見もありますがそんなのは気にしなくていいです。
むしろ、私はミュージカル映画ではなくクラシック映画『カサブランカ』への愛の捧げ方が粋だなって感じました。
ラストシーン、セブズのバーでミアとセブがお互いを見て固まるシーンは『カサブランカ』でリックとイルザがリックのアメリカン・カフェで出会うシーンへの引用と考えてまず間違いないでしょう。
なぜならミアは旦那を連れて、昔好きだった男性の営むバーで音楽の中で出会うんですから。そして店の名前もミアの提案したセブズ(セブの店)になっていますが、『カサブランカ』ではリックのアメリカンカフェとオーナーの名前を店の名前に置くことも繋がります。
『カサブランカ』では、リックがお店では決して弾いてはいけない曲があります。それがこの映画のテーマ曲ともなっている“As Time Goes By”(日本語タイトル:時の過行くままに、しかし意味としては「いくら時間が流れようとも」の方が合っていると思います。カッコいいタイトルではありますが)。その曲をピアニストが断りもなく弾き始めたのを耳にしたリックは怒ってピアニストの元に行くと、そこには昔の恋人イルザがいた、という映画史上に残る再会のシーンです。そしてこの曲を演奏することを禁止した理由が後々わかります。リックはこの曲を聴くとイルザとの思い出が蘇るからです。
これは素晴らしい映画的な表現だと思います。人が過去の記憶を思い出すキッカケ、云わば起爆剤となるのは匂いであると言われていますが、それを映画では表現しにくい。だけど、音楽もまた過去にその曲を聴いたときのことを想起させる強い作用があり、そのことは多くの人が経験していると思います。
『カサブランカ』の話が長くなってしまいました。『ラ・ラ・ランド』に繋げましょう。
『カサブランカ』ではリックはイルザとの楽しかったパリの思い出に浸るシーンがあります。この映画の中では過去の思い出しか描かれませんが、『ラ・ラ・ランド』では思い出の曲で”もしかしたらあったかもしれない人生”の幻想を描きます。それはリックが思い浮かべることのできなかったものです。それを今回はほぼ同じシチュエーションのキャラクターに違ったベクトルの”頭に思い浮かべる映像”を観せることが、『カサブランカ』への優しいオマージュにも思えるし、『ラ・ラ・ランド』の自分の夢を叶えたとしても、叶わなかった夢がある寂しさとも混じり合って非常にアンビバレントな余韻を残していると思います。
これはデミアン・チャゼル監督の前作のラストで描かれた音楽の持つ力をまた違った種類のものを描いていると考えています。
『セッション』ではぶつかりあっていたアンドリューとフレッチャーが暴力的でイレギュラーなセッションによって音楽の本来にあるべき喜びを再発見していることを、音楽と表情の演技で表現している素晴らしいシーンでした。音楽の本来あるべき姿とは“楽しい”だと思いますし、この映画のラストで二人が音楽をやっている上で見失いそうになっていたもの、そして音楽で取り戻した輝きだと思います。日本語だと正にそう漢字で書きますしね。
では『ラ・ラ・ランド』ではなんでしょう。それは“今ではないどこかへ行くための力”があることではないでしょうか。
最後のエピローグにて、全てが望むままに叶えられたハッピーエンドの世界、SF風に云えばどこかの次元に存在する二人の世界が思い出の曲によって始まり、そして彩られていくようすはこの映画の最もファンタジックで、ミュージカル映画だからこそできる描かれ方だと思い、文句なしに素晴らしかったです。
この映画はエピローグともう一つの楽曲以外は現実の世界の中で踊り、唄っています。
昔だったらスタジオで背景は絵で撮るという撮影方法ではなく、あくまでアナログで、昔作り物で描かれていたスクリーンの魔法をCG全盛期の現在にあえてやるという所が技術的にも面白いし、だからこそエピローグのシーンが特別際立つものになっているのではないでしょうか。
もう一つ、いくらなんでも現実ではありえないミュージカルシーンは宇宙での二人のダンスですね。でもあれは、恋に落ちた直後ってことで宙にも浮く感覚ってことなんでしょうね。
■最後のひと言
この映画ってデートに向いていると思いますか?
私は向いていないんじゃないかなって感じています。僻みとかではなく。むしろ止めておいた方がいいんじゃないかな。
だって、最後の最後で描かれているのは自分の夢のために分かれ道を選んだカップルが幻想の中だけでも幸せになれたってシーンですよ。
そんなの、昔好きだった人を思い出すに決まっているでしょ…。
私は公開時はシングルで観に行き、思う存分ラストシーンに浸り、帰りの夜、昔好きだった子のことを思い出しながら帰路につきました。
この映画を観る時に連れて行くのは過去の思い出がピッタリのような気がします。
自分の想像の世界だけに描かれた今の自分が歩めなかった幸せな人生の幻想を誰にも言わず夢見る。傍から見たら気持ち悪いでしょうし、パートナーに知られるのは避けるのが無難です。しかし、脳の中の世界は人には見えませんから。
ですが、この映画はその人生の幻想を音楽の力で共有する、という正に映画ならではの魔法としか言いようのないラストシーンで終わるのは文句なしに最高でした。
そしてこの映画のラストで描かれる美しいシークエンスはミアとセバスチャンが別々の道を歩んだからこそ生み出されたメロディです。もし二人が共に歩んで幸せになっていたら映し出されることのない映像。二人の心の中にどこか空間があったからこそ、それを埋めるために音楽と思い出が作り出してくれた夢なんです。
この映画を味わうのに過去どれだけミュージカル映画を観たかとか関係ないです。誰かと共に育んだ大切な思い出によって生み出された叶わなかった夢にレクイエムを奏で捧げる人々の姿に、自分を照らし合わせることができるかが、この映画に対する一つの姿勢ではないかなと思うのです。