道の駅北川はゆま

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』-世紀末荒野の言の葉たち

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荒廃した世界でも人は美しいものを作ることを止めはしない、というジョージ・ミラー監督の理念を体現したカー、セットデザイン。世界崩壊後の荒野でも目を驚かせるような美しさで撮ったヴィジュアル。それらによって『マッドマックス』の世界観を継承しつつ、新しい地平を切り開いた今作。しかしもう一つ、世界観の構築に大きな役割を担った、しかし中々注目されない要素。それは言葉づかいです。意表を突く数々の単語や新しい言葉の用法に英語ネイティブの人ですら面食らったり、解釈が分かれたりするほどたいへん大きなインパクトを与えました。今作は非常に見事な日本語翻訳が施されていますが、他言語に訳すさいにどうしてもすり抜けてしまう原語に込められた意味、ネイティブですらわからない単語、そしてどんな役割を担っていたのかを解説します。

■“Mediocre!”

「よくやった!」

モーゾフがカミカゼアタックを行った後にスリットが言う言葉です。辞書で引くと意味は「平凡、二流、劣っている」となり貶す時にもちいる形容詞です。なぜそんな言葉をスリットが使ったのか。これが結構見た目以上に解釈が分かれるところです。

日本語字幕・吹替版では自分の命を犠牲にしたモーゾフに対して「よくやった!」という誉め言葉として訳されています。モーゾフが体当りするさいにスリットはヤリ爆弾を投げて手伝っているように見えます。まるでモロゾフの人生最後の仕事を中途半端にやりのこすことなぞないように。こう考えるとスリットは友達おもいの良い奴だなとなります。

しかし、“mediocre”を辞書通りの意味として見てみましょう。スリットが「平凡だ!全然ダメだ!それじゃ!」という意味合いを込めて叫んでいた可能性もあります。そもそもこの言葉は作中でもう一度使われるシーンがありますが、それはイモータン・ジョーがニュークスがフュリオサが運転するウォー・タンクの上でコケてせっかくイモータンから授かった拳銃まで落とす場面で呆れた口調で吐きます。つまり、「使えん奴だ」ということです。しかも直前にニュークスに銀のスプレーを施す儀式を行ったヴァルハラに昇る段取りを組んだ後に、とんだヘマをしたから余計にイモータンが落胆したのと同時に、ニュークスも物凄く落ち込みます。ヴァルハラへの門は閉じられたと。これが本来の“mediocre”の意味、お前はヴァルハラに入ることはできない素質だと。

さて、スリットがこの意味合いで言った可能性を考えてみます。まず、スリットは凄く嫉妬深い男の子として作中描かれています。ニュークスがイモータンと目が合ったとテンションがあがっても「お前じゃなくて血液袋(マックス)を見たんだよぉー」と茶々をいれたりしています。後にニュークスが五人の妻たちの服の一部をイモータンに差し出して褒められているのを見て、「イモータンさん!自分は血液袋の靴、見つけました!」と言ったりしています。

彼の嫉妬深い性格や人が手柄を得た時に横やりを入れる性格からモーゾフの特攻シーンを再考すると違った感じで見えます。モーゾフの決死の攻撃のさいにスリットが横からやり爆弾を投げるのはモーゾフ一人の手柄にしてたまるかと邪魔をしたのではないか。そして“mediocre”は言葉通りの意味、「ありきたりだ!モーゾフ!(ヴァルハラ行きには満たないね!)」で吐いたともとれます。ちなみに脚本上では“He dies without glory”(彼は栄光を掴むことなく死ぬ)と書いてあるのでヴァルハラには行けなかったであろうことが示唆されています。

実はこのスリットの“mediocre”は、ネイティブでも意見が分かれるところです。言葉通りの意味としてとるか、新しく褒め称える意味を宿した言葉として感じるのか。この映画にはたくさん本来の言葉とは違った意味、造語、スラングが多いために生じた興味深い曖昧性です。どっちの意味にとるかでスリットのキャラクターが違ってみえます。凄く嫉妬深い奴なのか、言葉では素直になれないツンデレさんなのか、これは観客の想像に委ねられているところです。

■“breeder”, “booty”

「子産み女」

ウォーボーイズが五人の妻たちを表現するさいに用いた単語。日本語訳では「子を産む」ことに焦点があてられていますが、原語の意味は「種畜」でかなりギョッとさせる言葉です。種馬、種牛を意味する言葉を人間に使うのか!と。しかしこれが、ウォー・ボーイズたちにとって五人の妻たちは人間ではなく、イモータン・ジョーの所有物であることを表しています。まぁ日本は日本で「子産み女」や「種畜」よりも酷い「女性は産む機械」と死ぬほど愚かな発言が政治家から飛び出した社会でもありますけどね。

スリットは彼女たちのことを”booty”と呼んでいますが、原語の意味では「戦利品、獲物」です。この言葉もまた彼女たちを物として見ていることの証左ですが、しかし私たちの社会(特に男社会)の中で、容姿の整った恋人を掴まえた時に、「モノにした!」ということがありますが、結局はウォーボーイズたちの考えと地続きの概念だと思います。もっとはっきりとトロフィーワイフというように自分のステータスや地位を誇示したり煌びやかに見せるための道具として人間を隣に置く行為は、知らない光景ではありません。そのあたりゾッとせずにいられないし、決して彼らの考えと私たちの社会は見た目より遠くないのではと考えてしまいます。

■“schlanger”,”Fang it!”“Confucamus”

「ホモ野郎」「殺せ!」「くそったれ!」

“schlanger”

「ホモ野郎」

ダグがマックス、そしてイモータン・ジョーに向かって吐き捨てる言葉です。こちらはオーストラリアのスラングで英語圏のネイティブでも「?」となった単語です。文脈、口調、表情から侮蔑のことばであることはわかります。実際の意味は「蛇、ちんこ」です。オーストラリア英語での“Fuck”のように人を罵る時のことばです。ここからダグのおてんばな性格が表れていると同時に、聞きなれない単語を耳にすることにより違った世界へと誘う役割も担っています。ここは日本語字幕や翻訳にこのニュアンスを宿すのが非常に難しいところです。意味通り訳するのがオーソドックスですが、ネイティブの人が感じた「?」は残念ながら感じることできません。かといってほとんどの人には意味がわからない侮蔑の日本語言葉を置くわけにもいかない。泣く泣く「ホモ野郎」としてダグは口が悪い女性だなぁとも観客に思わせることが限界でしょう。

“Fang it”

「殺せ!」

これも聞きなれないスラングです。作中では何度か登場していますが、「殺せ!」と訳しているのはスリットがフュリオサの車が砂嵐へ突入していく時に車を運転するニュークスに叫ぶセリフです。本来の意味は「もっと早く!」「アクセルを踏み込め!」というオーストラリアのスラングです。これまたネイティブの人は最初戸惑ったと思いますが、何度も使われる単語であり、すべて運転手が言うか、運転手に向けて放たれる言葉なので車についての動詞なのだと察せれます。徐々にこの世界でみんなが頻繁につかっている単語が彼らを見ている内に理解することで言葉によってもグイグイとこの世界に向けて関心のアクセルをFang itしていく感じがあります。

“Confucamus!”

「くそったれ!」

マックスが血液袋として車の前に縛られた状態でニュークスがアクセル全開にした際に吐く言葉です。これが一体どこからきた言葉なのかわからない。ラテン語由来で”We are fucked” もしくは“Fuck it”。しかしまだ確固とした訳は見つかりません。とある人は人名だとも思ったとのことです。なので文脈とマックスの状況から「くそったれ!」と訳されており、まず問題ないでしょう。またこれも上記二つの英単語どうよう聞きなれない(恐らく汚い)だろうという一瞬観客を戸惑わせ、けれどニュアンスで伝わらせることばです。

このように聞きなれない言葉を使って世界観を構築することは他にもあります。有名どころでは『ロード・オブ・ザ・リング』にて、アラゴルンを「馳夫」と訳していますが、これが非常に素晴らしい翻訳なのは原語の“slander”(大股で歩く人)というの、耳慣れないけど何となくわかる感じを漢字も用いて翻訳したこと。そして今まで出会ったことのない言葉によって私たちの世界とは違った世界へと誘う役割も担っています。原語で読む人が感じることばの印象を日本語でも感じさせる絶妙な訳です。

上記三つの単語は造語を捻り出して伝えることはしませんでしたが、その一方で「人喰い男爵“The People”Eater“」「武器将軍”The Bullet Farmer“」という名まえを編み出したのは大変お見事です。この単語を聞けば『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を想起できるほどのインパクトがる造語を翻訳の過程で作り上げることに成功しています。

■“witness””aqua cola””V8”

「見たぞ!」「水」「V8」

“witness”

「見たぞ!」

辞書での翻訳は「(事件や現場を)目撃する」で日常的な見るという行為に特別なものを付加させた動詞ですが、それでもこの映画のように若い男の子たちが頻繁に使う単語ではありません。しかし、この世界では崇高性や宗教的な力も帯びさせてウォーボーイズたちのボキャブラリーとして根付いていることばです。

“aqua cola”

「水」

「水」と「コーラ、コカイン、または強心剤」を合わせた造語でこれまた聞いたことのない組み合わせです。語感から水であることはわかりますが、“cola”を合わせている所が興味深いです。イモータン・ジョーが民に水を供給した後に、「水に心を奪われるな。禁断症状で生ける屍になってしまうぞ」と言っていますが、”cola”には「コカイン」の意味もあるのです。ですので人民に“water”に「中毒性を及ぼし、身体をダメにするもの」を付加させようとイモータン側が考え出した造語なのでしょうね。

“V8”

「V8」

この単語が凄いですね。もちろん車に積むV8エンジンのことを差してます。そして同時に崇拝対象、つまりは神のようなものとしてあがめたてられる存在です。車が単なる移動手段ではない世界なのでその概念、宗教観に辿り着いたことも腑に落ちます。なのでV8を「V8」と訳すのは何の問題もありません。しかし、この世界ではV8は単なるもの、馬力あるエンジンではなく、もはや神に近い存在であることは観客にわかるように描かれています。神などということばを使わずに、V8を表現したサインやお祈りのポーズによって観客は察することができる。私たちの知らない宗教観や神の概念がこの世紀末の世界にあるのだと。つまりV8を「神」などと呼んだり、訳したりする必要はなく、「V8を讃えよ!」で世界中どの言語の人であろうと一発で伝わる。ユニバーサルに理解を浸透させることができる映像と演技と演出にV8ということばに神聖さを宿すことに成功しています。

■最後のひと言

私たちの文明や社会と違った世界で生きていたら、考え方や生活デザインが異なることは明らかです。それに付随して言葉の使い方も変化していくのは至極当然です。しかし、映画はヴィジュアルの側面が強いので新しい世界観を作り上げる時にデザインに着目しがちです。一応言葉にも気を使っているようにもみえて実は単に専門用語を捻り出して別世界感(SF映画に顕著)を描こうとするケースがありますが、それにはことばに魂がやどりません。なぜなら、人の営みや感情との直接的なつながりが感じられないから。下手したら違う造語に当てはめても結果的には同じになるほど単なる知らない単語かもしれません。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』での言葉えらびはこの世界観を編み出してゆく糸としてはずせない要素として光っています。

“tree”という「木」という我々が知っている一般的な言葉にしてもです。ウォー・タンクが泥にはまって動けなくなったときにニュークスが「あそこに出っ張りがあるよ」と言い、ケイパブルが「彼は木のことを差しているのよ」と補足してあげます。これによりニュークスは「木」を生まれてから一度も見たことがない、もしくはあったとしてもその単語を知らないことによってケイパブルは彼よりもシタデルを中心とした社会の外にある知識を持っていることが示されています。ケイパブルや他の妻たちはミス・ギディかフュリオサによって口承にて教えてもらったか、もしくは彼女たちの監禁部屋に積まれている本を読んで「木」というものがあると知る機会は十分にあったのでしょう。

その後、もう一度ニュークスが「木」のことを差す時も“tree thing”「木とかいうやつ」と初めて出会った単語を使い慣れていない感じが凄く出ています。

このような単語一つの使い方でキャラクターの背景や過去を想像させる力や余白を埋める力が至る所に散りばめられています。神は細部に宿るといいますが、正にその通りで、登場人物が生きた言葉を発し続けることによって、観客の魂に忘れられないほどの感動を与え、多くの映画制作者の度肝を抜き、映画史上消え去ることのない功績を残しました。

世界が崩壊した後の荒野にて、人間の尊厳を取り戻すための死闘のなかで、交わし、飛び交い、そして舞った言の葉たちもまた、この映画をヴァルハラへと誘ってくれたのです。