今回は趣向を変えて、原語じゃないとわからない、映画に秘められた意味を二つの映画からご紹介。対象作品は『キングスマン』『シュガー・ラッシュ』です。ネタバレ前提で書きますので、観ていない人はその項目は飛ばしてお読みください。
■『キングスマン』よりコックニーについて
イギリスはアメリカと比べても地域英語(つまりは方言)が多い国とされる。なかでもコックニーというのがよく知られている。簡単にいうと労働者階級や下町で用いられた言葉で、イギリスで最も軽視されている地域英語だった。特徴といえば”h”の発音を抜いたりする。(例 head→’ead)。つまりは、上流階級や紳士は使わない言葉であるということだ。
さて、この映画では意外な人物がコックニー訛りの英語を今際のきわに話してしまう人物がいる。それはマイケル・ケイン演じるアーサーが自分の仕組んだ毒によって絶命する瞬間にいう台詞、“You dirty… little fucking prick.”がコックニーアクセントになっている。しかも、とても紳士が言うとは思えないかなり汚い言葉です。
つまり、アーサーは私たちが最初に思い描いていたような上流階級出身の人間ではなかった。だから彼もまたマナーによって作られたキングスマンであったことをほのめかしているだ。
ちなみに、これにはさりげない伏線が敷いてあって、ハリーがエグジーに「人は生まれではない」と説明する時に、『大逆転』や『ニキータ』、『プリティ・ウーマン』を例に出すが、エグジーは「あぁ、『マイ・フェア・レディ』みたいな感じね」という。
『マイ・フェア・レディ』という映画ではオードリー・ヘップバーンがコックニー訛りの英語を直して生まれ変わるというストーリーであり、コックニー英語が物語のファクターになっている。つまり、エグジーは『マイ・フェア・レディ』を観ていたことによって、よりアーサーのコックニー英語にピンと来たはずだ。
■『シュガー・ラッシュ』デコられた闇の奥とは?
ゲームの世界を舞台に大騒動が巻き起こるディズニーアニメの傑作。しかしこの映画の根底にある隠されたテーマが原語には隠されていた。
ラルフが「シュガー・ラッシュ」の世界に何か秘密が隠されていることを掴んで緑色のキャンディー:サワー・ビルを問いただすときに言う台詞。
“What’s going on in this candy-coated
heart of darkness?”
日本語訳:このお菓子でデコられた闇の奥でなにが起きているんだ?
ここでの“Heart of Darkness”は日本語で訳すと”闇の奥”だ。なぜならこれはジョセフ・コンラッドの書いた小説「闇の奥」(原題:Heart of Darkness)からの引用である可能性が高いから。
「闇の奥」のあらすじはここでは書かないけれど、『シュガー・ラッシュ』につながる要素は「主人公が奥深い密林の先には正体がよくわからない外界から来た男が支配する世界があった」ということだ。
この映画の真の悪役であるキャンディ大王の正体は別のゲーム「ターボタイム」からやってきたターボだった。彼はゲームのプログラムを捜査して『シュガー・ラッシュ』の世界の王として君臨して、自分の本当の正体を隠している。
「闇の奥」ではクルツという男が密林の奥で原住民を奴隷にして象牙を搾取して支配している。彼の正体や、過去ははっきりと明かされない。
共に外界から来た者によって支配されているということが共通しているし、王国の支配者として君臨するのは「闇の奥」を原案にした戦争映画『地獄の黙示録』のカーツ大佐と似ている。
ラルフは偶然にもこのキャンディーで覆われた世界の闇を言い当てていたのだ。
■最後のひと言
他にも探せば出てくるので、また見つけたら書きます。『ズートピア』でもたくさん盛り込まれていましたね。『スポットライト』でも“Holy shit”が「ちくしょう!」と同時に「聖なるクソ野郎だな」ってダブルミーニングになっていたり…
つまり何が言いたいのかっていうと、原語だとより楽しめる要素が映画にはたくさんあるよ!ってこと。
これは映画に限ったことじゃないし、自分は吹替版の映画も大好きで、声優さん達の仕事に敬意を抱いています。吹替版じゃないと楽しめない面白さもあるのでそれもいつか書こうと思いますが、それと同時に、その国の言葉を知ればもっと面白くなる!って素敵じゃない?
私も学生時代英語嫌いでしたよ。えぇ、赤点も取りました。けれど映画が大好きで、大好きなものはとことん知りたいと思うのがオタクの常。ならば大好きなハリウッド映画の原語である英語を勉強してやったるわい!と思って独学で何とかそこそこ理解できるようになりました。
英語を勉強したおかげでより映画好きになりましたよ。そして、もっと好きになりたいからもっともっと勉強して、フランス映画も好きだからフランス語もやってみたいと思っています。
それで得た喜びや楽しみを、少しでも皆さんに分けて、少しでも映画や作品のことの好きな気持ちを後押しできれば、私が勉強したことも、書いたことも無駄じゃないな、とも思いますね。